「ねえ、あと十分ばかりで大事な電話がかかってくるわよ」
と妻が言った。
「電話?」僕はベッドのわきの黒い電話機に目をやった。
「そう、電話のベルが鳴るの」
「わかるの?」
「わかるの」
「羊のことよ」と彼女は言った。「たくさんの羊と一頭の羊」
「羊?」
「うん」と言って妻は半分ほど吸った煙草を僕に渡した。
僕はそれを一口吸ってから灰皿につっこんで消した。「そして冒険が始まるの」
対日工作だ、と僕は思った。
これが記者クラブの記者の彼女が言っていた 「対日牽制」なのだ。
「あなたは本当に受賞する気があるの?」
妻が真剣な目で僕を見ていた。
「どうだろう、よく分からないな。正直なところ、僕にはさしあたって受賞しなければならない理由が無いんだ」
途端に彼女の表情が険しくなった。
「どうして?」
「知名度があるからさ。 翻訳本だけでも生活できる。」
「ハイパーインフレが来て貯金が無くなったらどうするの? 半年後にはあなたは65歳で、後期高齢者にもなるわ。
それに、一日中ウイスキーばかり飲んでるようなあなたに一体何が出来るっていうのよ?」
妻の言うとおりだった。僕は妻と目を合わさないようにビールを一口飲んだ。
「ねえ、大江さん。ところであなたの人生の行動規範っていったいどんなものなんですか?」と僕は訊いてみた。
「お前、きっと笑うよ」と彼は言った。
「笑いませんよ」と僕は言った。
「弱者であることだ」
僕は笑いはしなかったけれどあやうく椅子から転げ落ちそうになった。
「弱者ってあの弱者ですか?」
「そうだよ、あの弱者だよ」と彼は言った。
「今日、私は真実を話します。
私が嘘を付くことにかかわらないことは、1年に数日だけです。
今日は、その中の1日です。」
「私がこの賞を受けることを聞いた時」
「私は、ガザ地区での戦いを理由に、ここに来る事を警告されました。
私は自身で問いただした。『イスラエルを訪れることは、適切なことなのか?
一方の国の支持にならないだろうか?』」
「小説家は、見なかった物と触れなかった何物をも、信用することが出来ない。
だから私は、見ることを選びました。
私は、何も言わないことより、ここで話すことを選びました。」
「私が言いたいことは、ここにあります」
「わたしが小説を書くとき 常に心に留めているのは、
壁の側に立つ小説家に 何の価値があるだろうか。」
「壁はあまりに高く、強大に見えて わたしたちは希望を失いがちだ。
しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。
制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。
制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。」
黒服の男は腰を下すと何も言わず僕を眺めた。
「みんな死ぬ」と男は静かに言って「誰でもいつかは死ぬ」と重ねた。
「私は君に対してできる限り正直に話そうと思う」 と黒服の秘書が言った。
どことなく公式文書を直訳したようなしゃべり方だった。
語句の選び方と文法は正確だが、ことばに表情が欠けていた。
「しかし正直に話すことと、真実を話すことはまた別の問題だ。・・・・・・巨大な事物の真実は現われにくい。
我々が生涯を終えた後になってやっと現われるということもある。だからもし私が君に真実を示さなかったとしても、それは私の責任でも君の責任でもない。
黒幕といわれる指導者や私たちは、王国を築いた。強大な永遠の王国だ。我々はあらゆるものを取り込んでいる。国連、財閥、メディア、学会、その他君には想像のつかないつかないものまで取り込んでいる。
権力から反権力にいたるすべてだ。要するに恐ろしくソフィスティケートされた国家だ。そしてこの国家を我々は戦後築き上げたんだ。世界をもっと堅固に、高く作り上げようとする意志の力でね」
そして男は僕のスピーチを見せる。
よく見てくれと言うが僕はどこに問題があるか分からなかった。
男は僕が文学専攻だったということを知っており聖書の知識を問い質してきたが男のほうが遥かに詳しかった。
これは落選通知です。
ひどくありふれた呼び名だと思うけれど、それ以外にうまい言葉が思いつけないのです。
激しくて、物静かで、哀しい、100パーセントの落選通知です。
「はじめから受賞者がわかっていたんですね?」
「あたりまえさ。いったい私を誰だと思ってるんだ」
「質問してもいいですか」
「いいよ」と男は機嫌良さそうに言った。「手短かにね」
「なぜ最初から受賞者を教えてくれなかったんですか?」
「君に自発的に自由意志でコメントを出してほしかったからさ。
そして団塊を穴倉からひっぱりだしてほしかったんだ。」
「穴倉?」
「経済的な穴倉だよ。老人は不景気になると一時的な自失状態になるんだ。
まあシェル・ショックのようなもんだね。
そこから団塊をひっぱり出すのが君の役目だったのさ。
しかし彼らに君を信用させるには君が白紙状態でなくてはならなかった、
ということだよ。どうだい、簡単だろう?」
大江さんは僕に手紙を書いてきた。
「おまえの落選によって何かが消えてしまったし、 それはたまらなく哀しく辛いことだ。この俺にとってさえも」
僕はその手紙を破り捨て、 もう二度と彼とは連絡を取らなかった。
落選が決定したあとでも、2ちゃんねるには何度も僕のスレッドが立って、
それは僕のせいではないし、誰のせいでもないし、それは雨ふりのように誰にもとめることのできないことなのだと書き込まれていた。
しかしそれに対して僕は返事を書かなかった。
なんていえばいいのだ?
それにそんなことはもうどうでもいいことなのだ。
俺もノーベル賞を逃したよ、とその作家は言った。
体はそんなに丈夫ではなかったのだけど朝から晩まで書き続けて、それで身をすり減らすように廃業した、と彼は話した。
僕はコップ酒を飲みながらぼんやりと彼の話を聞き、適当に相槌を打った。
それはひどく遠い世界の話であるように僕には感じられた。
それがいったいなんだっていうんだ?と僕は思った。
そして突然この男の首を締めてしまいたいような激しい怒りに駆けられた。
お前の売文がなんだっていうんだ?
ラマラは銃で撃たれんだ!
あれほど幼い少女があの世界で戦ってるんだぞ!
それなのにどうしてお前はそんな自分の話なんてしているんだ?
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。
一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。
あと10年も経って、このエントリーや僕の書いた小説や、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
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とりあえず希望の国からエクソダスするダス
2014年10月13日 11:40 PM | 1000$ |
時々こういうの書き殴りたくなるんですねわかります
2014年10月14日 1:38 AM | 匿名 |
1000$様へ
エクソダスと聞くと、私はキングゲイナーを思い出します
1:38様へ
無償にこういう気分になるのです。
2014年10月14日 4:12 PM | teihen |
底辺君ってやっぱり文才あるんじゃない?
2014年10月15日 12:00 AM | ㍉ |
㍉様へ
その賞賛は村上氏に捧げてあげて下さい
2014年10月15日 5:30 PM | teihen |
こちらの記事にはあまり関係が無いかもしれませんが、底辺様に触発されて開業に至りましたので報告させて下さい。
元手がないので店舗、在庫も必要ないサービス事業を考えました。
投資は名刺作成代の1000円で済みましたが、時間を切り売りする側面が強いのであまりお金にはならないかと思います。発信の経験値が稼げれば良いなと…
一方的になってしまいましたが、これからも参考にさせて頂きたいのでどうぞよろしくお願い致します。
2014年10月16日 2:23 AM | リオ |
リオ様
御開業おめでとうございます。
商売繁盛を祈らせて頂いております。
コラボ出来そうな事柄があれば、気兼ねなくお声掛け下さい。
2014年10月16日 9:14 AM | teihen |