江戸期の個人事業について ~オブラートに包まず語ろう、僕らが学ぶべき事は最下層民の為の生存術なのだ~ - 無限の地平はみな底辺

江戸期の個人事業について ~オブラートに包まず語ろう、僕らが学ぶべき事は最下層民の為の生存術なのだ~

2013.10.1|ライフハック 人生

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「戦国時代をテーマにしたライフハック記事を書いてくれ」

 

との依頼があった。

底辺にとってはそれなりに得意分野であり、1記事分の文章なら簡単に書けるし、

1コマ程度であれば講義もこなせるだろう。

(底辺に教壇を貸す様な愚かな大学も存在しないだろうが)

 

ただ、元亀天正前後の日本人の人生観は現代人と隔絶し過ぎていて、

参考例に挙げてしまうのはあまりに過酷であるので自粛する。

 

徒手の人間の処世術として元亀天正期で参考にされがちな面子はほぼ固定されていて、

別格の頂点に羽柴秀吉が据えられる以下は、明智光秀・今井宗久・田中吉政・藤堂高虎である。

次点グループに沼田祐光(名族出身の可能性が高いのでライフハック的観点から一段下げておく)の名を挙げてもいい。

この辺りのメンバーは力量才覚が綸絶し過ぎて参考にならないので、ライフハックブログのテーマとして扱うのは不適切であると判断した。

冷たい言い方をすれば、凡夫が分相応の成功をしたいなら菅直人でも参考にすればいい。

(底辺は死んでも御免蒙るが)

 

かつて、李傕と郭汜のコンビ論や光秀と秀吉の比較論を記したが、今思えばあのクラスのスーパーレジェントを参考例に挙げてしまうのは、

向上心を持つ若者にとって却って有害だったのではないかと、最近では深く自問している。

李傕と郭汜の黄金コンビの破滅から僕らが学ぶべき事

日本一の出世頭・明智光秀に学ぶ究極のライフハック術

 

英雄が不要な社会で英雄が必要とされた時代を訓話にしてしまうのもおかしな話なので、

現代日本と同様に非戦時で裕福で人が余っていた江戸時代の話をする。

 

 

 

デフレの大江戸の片隅から

 

江戸時代の小商いを紹介する。

一騎駆けの武者に自己を投影していいのは子供の間だけである。

士分にも豪農にも商家にも生まれる事の出来なかった人間は、やはり無産階級から学ばなくてはならないのだ。

と言っても底辺は江戸専門家でも何でもないので、以下の様なサイトを参考にして欲しい。

 

江戸時代のリサイクル

 

 要点だけ解説しておくと、簡便ながら面倒な事を代行する商売が江戸期には多く生まれた。

と云う事である。

四方を海に囲まれ防衛コストが安い上に穀物収穫量の多い江戸期であったから、

必然的に人材の過剰供給が起こり、多くのアイデア商売が生まれた。

反対に漢末三国志時代の人手不足社会ではアイデア商売は生まれにくかったのではないかと推測する。

(孫権なんかは血眼になって人攫いに精を出している。)

 

 

【刻み煙草屋】

 

煙草の葉などは吸う者が自分で刻めば良いだけの話なのだが、

やはり面倒だったのか、江戸期には3万人以上の刻み煙草屋が出現している。

恐らく、最初はボロい商売だったのだろうが、そのうち

「誰が最も細かく煙草を刻めるか!」

の競争になって、品質は向上しただろうが、しんどい仕事になった。

当然、最初の賢者は早々に店じまいしただろう。

 

 

【願人坊主】

 

午前中にクイズの問題を無料配布

午後には有料販売する商売。

 

 

【おちゃない】

 

長屋を回って、部屋に落ちている女性の頭髪を買い取って行く商売。

その髪はカツラの材料となる。

従事者は全て女性。

(男がやったら気持ち悪いからだろう)

「落ちた髪はないか?」 → 「おちゃない」

と転訛した呼称である。

 

 

 

三井高利を参考にする愚

 

これからビジネスを起ち上げようとする人間が、いきなり三井高利や角倉了以や本間光丘を参考にしようとする事に意味はあるのだろうか?

無論、学ぶべき偉人達だが、相手が偉大過ぎるが故に人生の指標にしてしまう愚は避けたい。

実績も能力もない人間が後藤又兵衛の生き方を真似た所で、誰からも評価されないであろう事と同様の理由からである。

 

それならば、江戸の底辺商売を多く見聞して、下層の人間が日銭を稼ぐ方法を学んだ方が賢い。

「他人の不便や面倒を代行して糊口を凌ぐ」

と云う生き方は裕福な社会に共通する庶人の処世術であるからである。

当然、安定期のローマ帝国にも様々な頓智の利いた商売が実在している。

現代、日本は古代ローマや江戸期同様、安定した裕福な社会なのだから、

そこで生き残りたければ同様の社会形態を持った歴史上の文明圏の中の底辺商売から自分の真理を見出すべきであろう。

 

英雄の背中を追うのは、自身の衣食を賄える力量を身に付けてからでも遅くない筈である。

 

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コメント一覧
  • 尻を売れトピではありませんが
    江戸時代には1人相撲屋という路上パフォーマーがいたそうです。


    2013年10月1日 3:17 PM | 1000$ |

  • 歴史系の本が好きなのでギクリとしました。
    確かに秀吉と自分を重ねるのは自意識過剰かも知れませんね。


    2013年10月1日 9:21 PM | 匿名 |

  • >人材の過剰供給が起こり、多くのアイデア商売が生まれた

    これは意外と多くの人が見落としてる盲点だなあ
    江戸時代の庶民の暮らしはまだまだ参考の余地がいっぱいありそうだね


    2013年10月1日 9:30 PM | 匿名 |

  • 1000$様へ

    副業として尻も売れたかも知れませんな。
    昔の人はたくましいものです。
    現代なら「殴られ屋」などを営んでいるのでしょうか。



    9:21様へ

    自分も含めてライフハック系のブログで、常人が真似しようのない歴史上の偉人を引用に出すケースが多すぎる気がしたので、この切り口で記事を書いてみました。
    英雄豪傑を引き合いに出した方が読み手も書き手も楽しいのでしょうが、
    「それが有益か?」
    と問われた時に疑問符が発生するので・・・



    9:30様へ

    ええ。
    ぶっちゃけると、今って人間が本当に要らないんですよね。
    ロボット(単純肉体労働上位互換)もネット(単純知識労働上位互換)も発達してしまったので。

    知恵を絞って機械の入れない隙間を探す事が現代人の課題なのでしょう。


    2013年10月2日 1:26 PM | teihen |

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