天は人の上に人を作らずといえり
されども今廣く此人間世界を見渡すに
賢き人あり愚かなる人あり
貧しきもあり冨めるもあり貴人もあり下人もありて
其有様雲と坭との相違あるに似たるは何ぞや
その次第はなはだ明らかなり。
『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。
また世の中に難しき仕事もあり、易き仕事もあり。
その難しき仕事をする者を身分重き人と名づけ、易き仕事をする者を身分軽き人という。
すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。
故に医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々の者より見れば及ぶべからざるようなれども、
その本を尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。
諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。
されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。
ぼく 「じゃあ、学問はどこで身につけられるの?」
福沢 「…け、慶応義塾」
福沢諭吉は日本第一等の偉人である。
少なくとも、「法人・日本国にとっての貢献度が極めて高い」と考えられているからこそ、
日本の最高額紙幣の肖像として選定され続けている。
(日本三傑には聖徳太子・家康・福沢の三者を充てるのが妥当であろう。)
そして実質上、現代日本は福沢の論理そのもので動いている。
故に、彼の著作は無学な方こそ読むべきであるし、彼の俗悪部分を看破出来る位の教養は日本人民全てが備えるべきである。
悪意に満ちた解釈をすれば、学問のススメは慶応義塾の宣伝広告である。
(無論、執筆動機がどうあれ日本国益を潤している書籍は大いに称揚されるべきである)
慶応義塾は「授業料」の概念を日本で初めて取り入れた私立大学であるのだ。
良くも悪くも上手い手口だと言わざるを得ない。
こう感じているのは底辺だけではなく、何かと奇縁があった勝海舟や榎本武揚も同様の述懐をしている。
別にこのエントリーで福沢批判をするつもりはない。
全ての言説が多かれ少なかれポジショントークに過ぎない事を念頭に置く癖を付けて欲しい、と貴方に伝えたいだけである。
そもそも、底辺が福沢を頻繁に題材に選ぶのも、彼がライフハックの題材として優れているからだけではなく、
底辺が脱亜論の現代語訳や西欧の国粋主義者が福沢諭吉殺害の為に奔走するライトノベルを刊行していると云う理由もある。
極端な話をすれば、福沢が注目される事が今や底辺のメリットであるからこそ、底辺は福沢を引用しているのである。
世間は多かれ少なかれ、この原理で動いている。
納得する必要などない。
ただ知っておいて欲しいだけである。
学問だけではない。
それが婚姻であれ投資であれ戦争であれ平和であれ、
持て囃されている事象・行動は煽っている側の利益になるからこそ世間で持て囃されている。
例えば、
・ローンで不動産を購入する
・銀行から借り入れて店舗を借りる
・奨学金ローンで大学進学する
などなど、庶人が疑問すら持たないレベルで定着した「常識」には莫大な広告費が投下されているし、何より断固たる国家意思に基づいている。
つまり、全ての風潮・流行は人民からの搾取を目的に創作されているのである。
世界はかくも薄汚いので、福沢諭吉を始め多くの先人が学問の重要性を説いているのだ。
(ルールも教わらないままチップを賭けさせられるのは、あまりに理不尽だからである。)
学問は、世界に騙されずに済む方法や最小コストで騙されるフリをする方法を体得する為に修めるものである。
もしも修めているつもりの学問が自身の向上に何ら反映されていないのであれば、それは学問ではなく洗脳されているだけである。
そろそろタイトル回収を始める。
「努」の字源は「奴隷の力仕事」である。
労働需要が高い時代は奴隷仕事(コモディティな労働)に対してもそれなりの対価を獲得する事が出来た。
(奴隷がペイする時代だってたまにはあるのだ。)
だから努力は褒められた。
何も考えずに多数派に属してさえいれば人並みの生活が出来る時代には、
努力は美徳であり、何より最高のライフハック術であったからである。
だがIT化・国際化・世界人口激増等の要因が絡まり、労働市場は完全に需給が逆転してしまった。
底辺が生まれた頃、世界の人口は50億だった。
それが今では今では70億も居る。
「少ないモノは価値が高く、多いモノの価値は安い。」
これだけが底辺の知っている世の理である。
石ころや獣畜だって、この法則に従って取引されるのである。
人間だけが例外である訳がない。
50億個しか無かったモノが70億個にも増えたのだから、一個当たりの単価が下がるのは当たり前ではないか?
それでも奴隷需要の高まりを信じる方が居るなら、底辺とは異なる数学を信奉しているのだろう。
奴隷単価は下がった。
餌が減らされたのはその所為である。
奴隷が今以上に力を振るっても餌は増えない。
新しい奴隷を購入するコストが、今居る奴隷に正当な餌を与えるコストよりも良いからである。
現在はまだ良い。
経済の上部に居る人間に奴隷を使役する習慣があるからである。
だが、底辺以降の若い世代は奴隷を使役する事すらもコストと捉える者が多い。
(何故なら我々は古い世代からそう扱われ続けてきたからである。 そして我々は必ず報復をする。)
未来、人口増が落ち着いたとしても20世紀的な雇用概念が戻るとは考えにくい。
奴隷単価はもう少し下がるに違いない。
奴隷の努力は牛丼屋の値下合戦と同じで、もはや自分達の首を絞める要因にしかならない。
奴隷仕事に打ち込めば打ち込む程に、自分の希少性を磨き上げる時間と体力が奪われ、
仕事単価も下がり、おまけに単純労働の経験年数はキャリアとカウントされない。
単純労働の作業履歴は中古車の走行距離と同じで、その多さがマイナス要因としてカウントされるのである。
今は「貴方の近所」がそうでないとしても、未来はそうなる。
何故なら、底辺は摂理の話をしているからである。
奴隷が持つべきものは力ではない。
これからの奴隷は心を持つべきだと言っているのだ。
人間は野菜や畜肉と同様に商品である。
これは労働者に限った事ではなく、資本家も役人も王侯貴族すらも代替可能な商品でしかない。
一昔前は人間が不足していたので、人民公社の人間売場には資本家が長蛇の列を作っていた。
表面だけ磨いておき無難にパッケージングさえしていれば、中身が腐っていようが人間は定価で売れた。
だが資本家同士が相互脱税協定(これを国際化と呼ぶ人も居るらしい)を結ぶと、人間売場にはブラジル産や中国産も陳列される事になった。
ネットが発達すると、人間売場は更に一変した。
声や事務能力などのオンライン化可能な部位がワンクリックで購入出来るようになったからだ。
故に、自分を陳列棚の規格に合わせるコストが、自身の売価を上回り始めている。
これが寓話でない事はロースクールの惨状を見ていれば御理解頂ける筈である。
かつて付加価値産業の人材が不足していた時代は、自身を「より完成度の高い規格品」として陳列していれば、
付加価値産業の資本家が「原材料」として貴方を購入してくれた。
付加価値そのものは買い手である資本家に「原材料」として加工する事によって与えて貰う事が出来た。
つまり原材料としての規格性を高める事が、結果として自身の価値向上に繋がっていたのである。
だからこそ、皆が向学心もない癖に大学へ進学し、忠誠心もない癖に会社に通勤したのである。
規格に沿う事自体に価値が在ったからである。
当時は、規格化するプロセスこそを努力と呼んだのだ。
正しい。
先人達の判断は圧倒的に正しい。
あの時点では。
だが、本エントリーで執拗に述べた通り人間売場の日本産は原材料としては割高になり過ぎた。
(一番悲惨なのは英米産である。 世界中の廉価品に言語を模倣された状態で競合させられているのだから。)
故に、現代社会で価値を高める為の努力とは規格化する事ではなく、独自化する事である。
しかも市場を観察しながら!
別にサラリーマンを辞めて起業せよと言っている訳ではない。
市場に対して、いや購買者に対してダイレクトに自身を提示する方法を模索する事を推奨している。
「これが現代社会が呼ぶ所の努力である!」
貴方の勤しむべき「努力」とは、労力を新時代に合致した形で投入する事である。
底辺が法外なハードルを貴方に課している事は自覚しているし、申し訳なくも思っている。
ただ劇的な価値転換に戸惑っているのは、他の皆も同じである。
我々の生まれ落ちたこの時代は、山中鹿之助から鴻池新右衛門にバトンが渡った時代よりも劇的な転換期なのだから。
適応して欲しい。
勝たずとも良い。
団塊の死肉は好きに喰らってくれて構わないので、変化を認識して生存の為だけの適応をして欲しい。
貴方の代は生き延びる事だけに知恵と労力を振り絞ってくれても構わない。
50年後の世界は、それぞれの適応事例数で力関係が決まるからである。
貴方がこの激変に適応する事こそが未来の日本への貢献となるのである。
[subscribe2]
福沢 「じゃあ、直売方法ってどこで身に付けるの?」
ぼく 「…て、底辺コンサル」
底辺君は福沢先生とどうスタンスが違うの?
2014年6月13日 11:46 PM | 匿名 |
久々に底辺節が聞けて良かった
2014年6月14日 10:34 AM | 匿名 |
> 11:46
大前研一と小前研一くらいの差なんじゃないか?
2014年6月14日 11:14 AM | 匿名 |
ウェルカムトゥーディス チェンジングタイム♫
この変化の時代にようこそ♩
君はTEIHEN BOY TEIHEN BOY TEIHEN BOY ……
ゴロが悪いな…
>だが、底辺以降の若い世代は奴隷を使役する事すらもコストと捉える者が多い。
そういえば同業者はパートに学生を雇わず、怠惰で従順な団塊を使ってました。
時代の変化に対応できるスモールビジネスが欲しい…!
2014年6月14日 2:39 PM | 1000$ |
平然と自分を福沢諭吉と並べる神経はコンサル向きやな
2014年6月14日 3:49 PM | 匿名 |
11:46様へ
聖徳太子 → 王朝国家日本の定義付けと法治主義の提唱
徳川家康 → 近世国家日本の指針決定と官僚主義の導入
福沢諭吉 → 近代国家日本の目標設定と実力主義の広宣
底辺 → 現代国家日本の問題提起と保守主義の整理
10:34様へ
喜んで頂けてピエロ冥利に尽きます
11:14様へ
最近、
「中前研一くらいは名乗ってもいいんじゃないか?」
と褒めて頂く機会がありました。
1000$様へ
若い人は元ネタ解からないでしょうね。
>時代の変化に対応できるスモールビジネスが欲しい…!
まずは自分の売物を淡々とリストアップする作業から始めて下さい。
人間は皆、曇った眼鏡を掛けながら必死で眼鏡を探しているのですから。
3:49様へ
誰かがアンチテーゼを提示しなければならない時代になってしまっているからです。
平成の世に福沢が存在したとすれば、私と同じような結論に達したでしょう。
2014年6月14日 10:02 PM | teihen |
俺は底辺のファンやけど福沢先生と同格の位置に自分を置くのはどう反応したらええのかわからんぞ
2014年6月15日 3:18 PM | garo |
多分、福沢先生と同格に自分を並べてるというよりは、
「自分がこのブログ書いてるのも結局ポジショントークなんだけどね。」
みたいなオチをつけたんじゃないですかね?
2014年6月15日 3:33 PM | 匿名 |
鴻池新右衛門は当時としては変わった感覚の持ち主だったのでしょうな
果たしてその事例をどう現代に活かして良いやらイメージは湧かないがw
2014年6月15日 5:31 PM | 匿名 |
garo様へ
福沢の時代の必勝法の幾つかが現代では陳腐化しており、
我々の世代はこの時代に合致した打開策を提示する必要があるのです。
で、その提示は人民個々から為されなくてはならないのです。
何故なら、マルチメディア時代における共同体運営の成否は、
発信者の総数とその整合能力によって決定付けられるのですから。
私もgaro様も発信者たらねばならないし、それが適わねば日本国の存続も危ういのです。
「個の総量」、これが21世紀のサバイバルレースの成否を決定するのです。
2014年6月16日 12:27 AM | teihen |
サラリーマンだろうと雇用主だろうと受動者は淘汰されると言うことですね。
2014年6月16日 5:11 AM | バッファロー |
バッファロー様へ
仰る通りです。
そして能動者の中でも発信性の乏しい者は淘汰されると予測します。
自分からアクションを起こす事と自分から情報・提案を生み出す事は全く別の作業であり、
その両者を峻別した上で並立する事に成功した者のみが次代に適応する事でしょう。
2014年6月16日 11:58 AM | teihen |
3:33様へ
もっともらしい言説ほどポジショントークなのです。
日本人の個々がそれを自覚しなければ、国家は存続出来ないと私は考えております。
皆様が私を疑う事を切欠に、世界の在り方を見直して下れば幸いです。
5:31様へ
新右衛門は父の仇の毛利輝元が大阪で厚遇されるのを横目に、山中の血を隠して商売をしなければなりませんでした。
負け組だったからこそ当時秩序には参入出来ず、新時代の生き方を模索せざるを得なかったのです。
要は、彼もまた一人の平凡な負け組に過ぎず。
同時に、平凡な勝ち組に過ぎなかったのです。
「今のシステムで恩恵を蒙れてないから、新時代での勝ち方を模索する」
↑ とても平凡ですよね。
5:31様が桃山時代の毛利家のように恵まれているならばその地位を活かして家門の増大に充てるべきですし、鴻池新右衛門の様に表舞台から蹴落とされた存在であるなら、未来に伸びる分野で勝つ事に注力して下さい。
2014年6月16日 1:51 PM | teihen |
売り物リストの少なさに嘔吐しそうになりました。
>人間は皆、曇った眼鏡を掛けながら必死で眼鏡を探しているのですから。
案ずるより横山やすし、とはよく言ったもので
くよくよせずカンカーンといきたいもんです。
o-o、
(‘A`) メガネメガネ
ノ ノ)_
2014年6月16日 9:00 PM | 1000$ |
売る物がケツか労働時間しかねぇ。
2014年6月16日 10:13 PM | 匿名 |
1000$様へ
AA可愛い。
じゃあ、1000$さんはそれをコンテンツ化して外人に宣伝してから、
日本の眼鏡メーカーに自分を売り込む作業に入りましょう。
※リミット1年
10:13様へ
では、10:13様は実際にケツの売買単価を真面目に調べてマッチングマップを作りましょう。
その後、ホモ産業に営業を掛けて下さい。
※リミット1年6か月
2014年6月16日 11:33 PM | teihen |
今回のエントリと先の「こうしましょう」の二例を見て、「ああ、自分は無能というより怠け者なんだ」と認識を改めました。
既存の市場では無能でも、独自化によりその新しい市場では有能な存在になれる、と解釈しましたが、その「独自化」ができない無能ですエヘヘ、と最初は感じました。
しかし、「こうしましょう」というアドバイスを見て頭に浮かんだのは「面倒だなあ」という言葉でした。
『銃夢』の「『自由』なんて強い奴だけの特権なんだ! 俺は『自由』より『犬の首輪』が欲しいんだよォ~!」という言葉も思い出しました。
黙ってても「犬の首輪」が分配されてた時代は終わり、むしろ「犬の首輪」ですら、自分から売り込みをかけて獲得しないといけないのですね。
2014年6月17日 11:45 AM | 無能というより怠け者 |
変化対応型のスタンドアローンが僕の周りに結構います。
一時儲かったり、儲からなかったり、その実態はわかりませんがただひとつ共通していること。
SNSのふぁせぼおkの投稿頻度だけはめっちゃくちゃ高いのが共通。
アクションする人は多い。めっちゃアピールしてる。1日何投稿もアピールうざっす!
わかりましたわかりました人となりよーーーくわかりました…
仕事したんですね頑張ってますね 的な~。仕事あってもなくても超精力的!
1日の仕事量をウォールのやり取りだけで凌駕する日々もあることでしょう。
そんな彼らなら、瀕死の状態に陥っても貸し借りやつながりで生きていけそうに思います。
が、そういうことではなくて、もっと何か・・・なんですね。
>自分からアクションを起こす事と自分から情報・提案を生み出す事は全く別の作業であり、
>その両者を峻別した上で並立する事に成功した者のみが次代に適応する事でしょう。
>2014年6月16日 11:58 AM | teihen |
teihenさんのブログによって格差が広がることは間違いない。
2014年6月17日 2:58 PM | 匿名リサーチ |
そして、はたと気づいた。
ポジショントークによるプロパガンダとその搾取ターゲットを定めて
かいがいしく世話を焼くことでそのカテゴリの頂点に立つ方法ですこれは。
実社会では、世話好きだが実は己のメリットで動いている人がよく取っている手法です。
恐ろしいな。teihenさん。ころっと騙されるところだったw
2014年6月17日 3:13 PM | 匿名リサーチ |
匿名リサーチ様
>そのカテゴリの頂点に立つ方法です
底辺界の底辺くらいなら立てるのではないかと自惚れています。
2014年6月17日 5:31 PM | teihen |
o-o、
(‘A`) 頭、頭!>
ノ ノ)_
o-o、
(‘A`) アタマアタマ
ノ ノ)_
キャラクタービジネスとして、AAの版権が微妙なところなので短期勝負ですね。
うん光シャツよろしくデータプリントでいくか。
特定分野のグルになるのはこの手のビジネスの鉄則ですのでなんら不思議ではありません。
むしろ王道です。
2014年6月17日 5:33 PM | 1000$ |
無能というより怠け者様へ
では、「犬の首輪」に関しても探しておきます。
ただ私は数をカバーする事が苦手ですので、賞金を出資してアイデアを集めてから
優良論文の具体化に向けて運動する方針を採ります。
要はパンとサーカスの引換券の入手手順を整備するだけの話ですので、
原理的にはさほど難しい物ではない筈です。
2014年6月17日 5:39 PM | teihen |
1000$様
例え独り言であっても手の内は絶対に晒さないように。
アイデア泥棒はどこにでも存在します。
http://clubt.jp/product/329499.html
2014年6月17日 5:59 PM | teihen |