智将オデュッセウスは10年のトロイ戦争を戦い抜き、その機略でアカイア軍を勝利に導いたにも関わらず、戦後は音信が途切れてしまった。
悲惨なのは残された息子・テレマコスと妃・ペネロペ―である。
武名高いオデュッセウスの留守を幸いにと美妃ペネロペ―を狙う邪な求婚者が108人も邸宅に迫り強談に及んだからである。
その時、母子を護ったのが、オデュッセウスの親友であり後見人として指名されたメントールである。
後に成長したテレマコスは父を探す旅に出るが、同行したのがメントールの姿を借りた女神アテナであった。
(本物のメントールはオデュッセウスの邸宅を守っている)
メントール(アテナ)の教導によりテレマコスは父の救出に成功し、母ペネロペ―に言い寄った求婚者達を誅殺する事に成功する。
この故事が人口に膾炙し、いつしか良き指導者・教導者をメンターと呼ぶようになった。
インターネットの普及で、何でも気軽に知り調べる事が出来る様になった。
その道の大家に教えを乞う事のハードルも随分と下がった。
「知」に関するコストが一昔前に比べて大きく下落した事は疑いようのない事実である。
だが、何でも独力で学べる時代になったにも関わらず、人類が古来から脈々と受け継いできた「師承」の概念が軽視される風潮は興っていない。
寧ろ、「メンターブーム」と云う言葉が示している通り、学習者の師を求める欲求は高まっている様にすら見える。
人々が求める「学習」とは知識や情報の伝授のみを指すものではないからであろう。
残念ながら底辺に師はいない。
故に、師承について語る資格は無い。
それを踏まえた上で、無師の身から師を持つ事の重要性を語る。
・自分の具体的な理想像を持つ事が出来る
・自身の無自覚な長所を引き出し、短所を指摘して貰える
・「弟子としての謙譲」と云うブレーキを持つ事が出来る。
良師に恵まれ真の意味で大成しておられる方を拝見していると、上記の3つは必ず自覚しており、
自分が誰かを教導する側に回っても、これらを意識して後進に伝えようと模索されておられる形跡が見受けられる。
少なくとも、この3点は師を持つ事の重要性の際たる点なのであろう。
底辺は存ぜぬが、他にも多大なメリットが存在する事くらいは想像が付く。
重要なのは3番目である。
実は成功者は師の有無を問わず勝手に成功するものであるが、
「教えを乞う立場」を経験せずに成功を収めてしまうと、
その成功が自分一人の功であるかの様に錯覚し、それが不要な驕りが自身を蝕むケースが多い。
我流の天才が卓絶した実力や実績にも関わらず忌避排斥されがちなのは、そこら辺が関係しているのかも知れない。
本当は誰しもが自身の成功を幸運に基づくものだと知っていなければならない。
誰かに師事した事実は、誰もが知りつつ無視しているその真理を認識させ続けてくれる。
こんなに有難い事もない。
さて、本題に入る。
メンターの探し方である。
これに関しては迷う必要がない。
世間を見渡して、「こうなりたい」「こうありたい」と云う人間を師に据えるだけの事である。
例えば、武道の世界は極めてシンプルである。
嘉納治五郎や千葉周作等の卓絶した強者を仰ぎ見て、私淑者達が彼らの様になりたいから門下に集った。
嘉納・千葉は武道家として強い上にマネージメント能力もあったので有力な弟子に恵まれ流派は栄えた。
本邦の柔剣道はこうやって興った。
ビジネスの世界も解り易い。
理想的な金の稼ぎ方をしている成功者に倣う事で模倣者は彼らに近づこうとする。
故に、ウォーレン・バフェットの講演会は常に満席である。
「彼の昼食に同席する権利」が100万$で落札される位だから、
バフェットの様になりたいと考える者はさぞかし多いのだろう。
貴方が現代資本主義ゲームの忠良な参加者ならば、
金儲けに成功している人間の中から気に入った人間を選んで、
その者に師事するのが手っ取り早いだろう。
無論、先方にだって弟子を選ぶ権利はあるが。
要は、自分にとっての理想の生き方をしている人間を見つける事が第一歩で、
後は、その人間に対して私淑の意志を伝達して自身の存在を認知して頂く事が二歩目である。
誰かに師事した経験はまさしくその折に生きる。
師選びは、言い換えれば「未来選び」である。
貴方が何者になりたいか? 貴方は何処を目指すのか?
まずは自由に望む未来を想像する事である。
必ず理想像となる人物は存在する。
未来が想像出来ないなら、「格好いい」と思った人間を探してもいい。
「こんな生き方をしてみたい!」
と思わせるような人物は英雄譚の中でなくとも実在する筈である。
システムとして弟子を取っている人間は多い。
最近では「~塾」と云うネットセミナー形式が主流である。
無論、それは商売であって、カネを払った事実を「師弟関係」と呼ぶ事の是非は慎重に論じるべきである。
貴方の生涯の目標が「~塾」の塾長となってセミナービジネスで生計を立てる事なら、
懐に負担のない範囲でどこかに入塾するのも一興かも知れない。
では「~塾商法」に興味のない人間に弟子入りするにはどうすればいいのだろうか?
答えは簡単である。
相手に接触する前から、「既に自分は相手の弟子である」との自覚を持ち、相手を学んだ上で、
弟子としての礼儀を以て相手の負担にならない範囲で交誼を求めるのである。
「弟子入りを許可されたから所作を改める」
と云うのは学習者として論外の姿勢である。
そもそも、本心からリスペクト出来ていない相手に師事を申し出るのは、非礼であると底辺は考える。
人生観は十人十色であり、
誰もが師を名乗って満悦出来る神経を持ち合わせている訳ではない。
真に優秀な人間はマウンティングを必要としない為に、形式的な師弟関係を嫌う者すら多い。
その様な人間に師事を申し出ても、相手に負担を掛けてしまうだけである。
では、そういう人間の弟子になるにはどうすればいいのか?
胸中でのみ相手を師と仰ぎ、相手に接するのである。
無論、「弟子」の肩書きは手に入らない。
だが、その方が師弟の形としては正統であると底辺は考える。
弟子の最低限の責務は師に無用の負担を掛けまいとする事だからである。
別に取引相手でも仲間でもファンでも良い。
胸中で相手の弟子を心掛け、相手を師と心掛け接する事によって、
相手も貴方の何かを必ず引き出してくれる。
何故なら、それこそが形骸化以前の人類の真の師弟関係だったからである。
弟子入りする事は出来なくとも、相手から学ぶ事は可能である。
師と仰ぐ
使い古された言葉であるが、昔から人間はこの姿勢で自身を成長させてきた。
教導の恩恵は所詮は自身の姿勢の結果に過ぎない。
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底辺に対してRSSして頂いているアマカナタ氏が電子書籍を発刊された。
徒弟的な職場を舞台とした、能力はあるが支配的な人格の雇用者との葛藤を小説風に纏めたライフハック本である。
成功者がどの様な部分に神経を遣っているのかを注意深く観察分析している。
分量も充実している作品である。
自己改革や不本意な徒弟関係からの脱却を考えておられる方には特に推奨する事にしている。
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人のよいところを見習う、真似る、ということが大事であるというのは同感です。
で、これは私個人の考え方なのですけど、
「誰か一人を師と仰ぎ目標にする」ということがしにくいです。
自分を成長させるために、いろんな人の「自分に取り入れやすい、見習うべきところ」を少しずつ取り入れていきたいと思っているのですが、それだと具体的なイメージがつかなくて伸びないでしょうか?
底辺さんは主に「ビジネスをするにあたっての」メンターについて仰っていると思うので、
私のように「自分を成長させる」といったような漠然としたものについて質問するのは的はずれかもしれません。
ただ、何にしても、「理想とする師匠」はコケる可能性もありますよね?ホリエモンがインサイダー取引で逮捕されたみたいに。
誰か一人を目標に、あまりにもその人を理想像として取り入れてしまうと、
「師匠が理想とはずれたことをしたとき」が失望してしまうんじゃないかな、
とか心配になってしまいます。
もし、誰か一人を師匠にするとしてもあくまで、「自分が勝手に師匠と仰いでるんであって、師匠側には自分の師匠でいる義務はない」というスタンスを崩さないことが大事なように考えます。
2013年11月29日 7:15 PM | 匿名 |
てゆうかアマカナタ氏の電子書籍ゼロ円なのですね!
早速ダウンロードしました〜
2013年11月30日 12:33 AM | 匿名 |
7:15様へ
一人に肩入れするべきではないと云う御意見に強く賛同致します。
ただ、他人の人格に期待する事は理想の強要に過ぎないので、私は人格面まで他人様に要求しないように心がけております。
求めればキリがないので。
ただ、一点注意すべきは、
>「自分に取り入れやすい、見習うべきところ」
この部分です。
人間の長所は大抵の場合短所と表裏を為しているので、
長所のみを都合よく吸収出来るとは思えません。
加藤清正は完璧主義的な万能武将であり、敵国人であった明軍や朝鮮軍から日本最強の将帥として評価されておりました。
但し、自分が全てを取り仕切らなければならない癖が裏目に出て良質の部下が殆ど育ちませんでした。
加藤家改易後、加藤家士は「使い物にならない」と云うレッテルを貼られて再仕官に苦しんだそうです。
清正公の故事は極端な事例ですが、人間の長短はこの様に常に表裏を為しているものなので、どうかその事実を踏まえて御学習下さい。
12:33様へ
こちらのサイトでは無料フェアを紹介しておりますので
http://kindou.info/
御一読を推奨します。
面白い本があれば是非とも御教授下さい。
2013年11月30日 9:36 AM | teihen |
師匠もカンペキ人間では無い。
ましてや人間的に成熟し、人当たりのいい人間は、世間の王道を歩き、単に失敗しなかった人間かもしれません。
有田な祖父と山本な親父に乾杯。
2013年11月30日 9:39 AM | 1000$ |
更新お疲れさまです
学ぶべき長所を持っている人を尊敬し、師と仰ぐ
反省すべき短所を持っている人を反面教師とし、師と仰ぐ
結論、世の中師匠だらけ
2013年11月30日 12:25 PM | 名無し |
1000$様へ
失敗しなかった人間って、逆に学習対象から外れるかも知れませんね。
凡人は必ず失敗するので、リカバリーを教える事が出来る人間こそが師に相応しいと思います。
12:25様へ
同意します。
人間、その気になれば、「どんな事からでも学べる」といいますしね。
2013年12月1日 8:53 PM | teihen |
サイコパスの山本だけど登山のたとえは座右の銘になりそうです!締め切りギリギリで手をつけてもうまくいかないこと多いですからね〜
2013年12月2日 6:33 PM | 匿名 |
>底辺さん
おっしゃることよくわかります。
加藤清正については不勉強で詳しくなく申し訳ないのですが、
長所と短所は表裏一体のものですよね。
就活の面接で自分の短所をきかれたときは、「長所にもとれるような短所を挙げよ」といいますし。
加藤清正のようなひとを師にしたら、次は武田信玄のように部下を使うのがうまい人を参考にすると、中庸が保たれるというか、それぞれの「良いとこどり」できそうな気がしてます。
2013年12月4日 6:37 PM | 匿名 |