前回のエントリーである 「話が上手くなる方法 ~起業時のスタートダッシュについて~」 のコメント欄に下記のコメントがあった。
それを踏まえて今回のエントリーを書き遺す。
ただ、相談者個々の逸話には面白い物もあるが、それを座興の肴にする目的で晒す趣味はない。
底辺が相談内容を引用するのは、他の閲覧者にとって広い意味の利益となる場合のみである。
底辺に相談を持ち掛ける方は大体3種類に分類される。
① 既に成功しており、『技術者』としての底辺に助言・協力を求める者
② 代々貧しく、成功とは無縁の真の困窮者
③ 家門はそれなりに富んでいるのが、個人としての属性が低く伸び悩んでいる者
想像の付いていた方も多いかと思うが、相談者には③の比率が多い。
このサイトではテクニカルな話をあまりしないので、①の方の目に留まり難いし、
(技術的な方向で話を掘り下げすぎてしまうと、相談者の方からクレームが来る)
②の様に真に属性の低い方は、もっと即物的なサイトを訪問される。
(ヒルズ系の、『こんな酷い境遇から年収10億円!』みたいなコンセプトのサイトにである。)
で、必然的に③の方の比率が高くなる。
あまり具体像は出すべきではないのかも知れないが、
「親が高度成長期の勤め人で、それなりのキャッシュや居住用の不動産を獲得したにも関わらず、生存ノウハウを次代に伝える事に失敗した家庭の御子息」
上記の人々が最も底辺に相談を持ち掛ける人種でありく、21世紀社会が救済もしくは淘汰しなければならない人々である。
(このサイトは政治サイトではないので、救済云々の話はしない。)
③の人々からの相談が多いのは自然な事である。
何故なら、彼らこそが21世紀のマジョリティであるからである。
国家主義の隆盛と共に義務教育システムは強化され続け、世界各国で概ね義務教育は普及し、その弊害を現代人は意識出来ていない。
(弊害を説くのは各国官僚の仕事であるが、教育制度の恩恵を最も受けている彼らに教育制度の批判を強いるのはあまりに酷な話である)
児童労働は概ね「悪徳」とされ、世界各国の児童は労働から切り離されてしまっている。
結果、多くの社会善が齎されたが、それまで縁族単位で保有されていた労働観や社会観・ノウハウが国家によって分断されてしまった。
元来、保護者の最大の義務である筈の 「生き延び方の伝承」 の責任所在が不明瞭になってしまったのである。
故に、少なくない現代人が自身の縁族から生き延び方を教わらないまま生き延びる事を強いられている。
それが③の人々である。
しかも、③の親世代は僅かな資産を築いたとは言え、医学の進歩によって心停止の直前まで膨大な現金を浪費し続ける存在となった。
親が子供に掛けていた保護期間よりも子供が親の面倒を見る介護期間が超えてしまっているし、費用面でも逆転は起こっている。
子は親が居なくとも育つが、子が居なければ親の介護は成立しないからである。
昔の人は賢かったので未使用の山林を姥捨て山として活用したが、現代の人道思想と廃棄物処理法は古人の解決法を封殺してしまった。
故に③の人々は親世代が好景気の頃に稼いだキャッシュの恩恵をそこまで受ける事なく、
(彼らから受け継いだノウハウは次代の変遷と共にその大半が陳腐化してしまっている)
親世代の延命チューブを色々な意味で保全しなくてはならない破目に陥っている。
しかも親世代が、当時の感覚で『裕福な家庭』であれば、様々な意味で生活水準・幸福水準のハードルを上げられてしまっている。
これは負債である。
しかも生活レベルの向上と云う負債を多くの者が抱えてしまっている。
各国で移民がしている様な仕事をすれば楽に生きて行けるのに、どうしてそれをしないのか?
金銭を含めた資産と云う名の負債を背負って生まれて来た者には、その仕事が出来ないからである。
貴方だけが、屑鉄拾いやらキャバレーのボーイやら便所の汲み取り人やライン工になれないのなら、それは立派な負債なのである。
底辺の③の人々へのコンサルティングは、本人が資産だと錯覚している物が実は負債である事を認識させる事から始める事が多い。
種を明かしてしまうと、コンサルの仕事には元来であれば長老が縁族に伝え教えておかなければならない思考法・発想法の伝授が多く含まれている。
故に底辺は年上の相談者に対しては本心からの恐縮の念を以て、以下の様に断ってから話を始める。
「本来であれば、私如き若造が貴方に語るべき事柄ではないのですが。」
→ 商売とはこう云うものです。 掘り下げて解説しますと・・・
→ 地域社会ではこう振る舞わなければなりません。 理由を説明しますと・・・
→ 人付き合いの真の意味はこうなのです。 例えを挙げますならば・・・
→ 御兄弟とはこう接するべきです。 歴史を紐解きましても・・・
→ この年齢になれば、社会通念上この様な義務が生まれます。 何故ならば・・・
↑ これらは本来であれば親が子に伝えて無ければならない事である。
罷り間違っても、アカの他人のしかも年少者が成人した人間に説いてよい内容ではない。
だが、底辺すら伝えなければ、その人は誰からも世の理を知らされぬまま世渡りを強いられる可能性がある。
底辺もまた受け継がなかった側の人間であり、ある日弊害に気付き『当たり前』を取り戻す為に奔走した人間である。
精神的にゼロ以下の地点からのリカバリーがどれだけ困難であるかは誰よりも痛感しているし、リカバリーする為の方法を身に付ける事が出来ると云う事実も確認した。
底辺は野球に疎いのだが、ハングリービジネスマンとしての野球選手には尊敬出来る人間が存在するので、
相談者に対して好例として紹介する事が多い。
特に、板東英二と野村克也の両名は秀逸である。
彼らであれば、どの時代のどんなポジションに生まれても生き延びる事が可能なのではないかと考えている。
板東英二に関しては以下のエントリーで紹介済なので、今回のエントリーでは野村克也氏の話をしたい。
底辺は野球の細かいデータには全く興味が無いので数字で野村克也を称える事はしない。
調べれば調べる程、偉業が発見されて書き切れないないので、
『監督兼キャッチャーをしながら王貞治の次にホームランを打った人。』
とだけ素っ気なく記しておく。
野球を知らない女性にそう野村を説明した事もある。
その時は、
「余程、好きなのですね。」
と指摘されたが、野球と野村のどちらを好きと解釈されたのかは判らない。
野村克也は最初から野球を目指した訳ではない。
父親が満州で戦病死した上に母親が病床にあったので、家がとても貧しく生計の道を必死で探しているうちにそうなったのである。
野村は最初は歌手を目指した。
当時から歌手は持て囃されていたからである。
だが、断念した。
音痴だったからである。
次に俳優を目指した。
当時から俳優も持て囃されていたからである。
だが断念した。
不細工だったからである。
幸いにも肉体頑健(これに優る財産など存在しない)だったので、無師で野球を始め南海ホークスに潜り込み、
独学我流で野球選手としての地位を勝ち獲る。
底辺は、相談者の方に対して野村克也の名を挙げ、
彼ほど貧しい境遇に恵まれたか?
彼ほど業績に反比例して孤立し続けた経験はあるか?
を尋ねる事がある。
無論、大抵の人間は野村程の貧困や憎悪や屈辱や誤解や孤独に恵まれた事がない。
それどころか、周囲に理解者が居てしまったり、親が学費を出してくれたり、子供の頃からまともな食事を食べさせて貰ったり、何かを行う際に説明を受ける機会を得てしまっている。
(野村は南海に入って暫く経ってようやくボールの握り方を教えて貰ったし、名声を得て監督を引退してからもキャッシュカードやクレジットカードの使い方を誰からも教えて貰えなかった。
権力と名声を得て尚蒙る孤独こそが真の孤独である)
ピンで生きる性根の話ならば、大半の者が野村よりも遥か後方からスタートせざるを得ない。
幸福と云う名の負債を背負って生まれてきたからである。
底辺は幸福と云う負債を背負って生まれてきた人間に対して、多くを望まない。
太閤秀吉やら朱元璋や野村克也は負債を背負って無かったからあの生き方が出来たのである。
底辺は、まず③の相談者が知らずに背負っている負債の性質を解説した上で、折り合いの付け方やメリットだけ残す方法を提示し続けている。
どんな優秀な人間でも、負わされている負債の内容を知らずして成功する事は不可能であるからである。
元来、次代に幸福と云う名の負債を背負わせてしまった人間には、埋め合わせる為に様々なノウハウや裏道を教え伝える責務がある。
多くの家庭がそれを怠っているので、前述の③の人種が生まれるのだ。
子供を鳶職や塗装工や溶接工や配管工に就けない環境で育ててしまったら、まず「申し訳ない」と感じなければならない。
常識で考えれば、埋め合わせの手段を模索しなければならない。
本来、人間の生存闘争は一族単位の団体戦である。
漢人は流石に賢いのでその本質を正しく理解している。
他人は抹殺すべき敵であり、血統のみが真理である。
彼らは極めて正しい。
故に彼らを日本国に招き入れるべきではないし、その動向は徹底的に監視・掣肘するべきである。
間違っているのは、日本を始めとした生物の真理を理解していない国で搾取されている人々である。
庶人の身では為政者や大資本に抗えない。
故に、徒手の人間こそ一門を大切に扱い、密接に連絡を取るべきである。
だが、現実には親族の絆を尊重しフル活用しているのが富強の者で、そうでない者ほど血縁を軽視している。
結果が、全ての者が知るこの現状である。
世の中の仕組みを知らないから貧者・困者はその地位に陥っているのだ。
最後に、5:30様に対して具体的なエピソードを語っておく。
他の方にとっても傾聴の価値がある内容である筈だ。
窮して底辺に相談を持ち掛ける方は親族との関係が弱い。
特に兄弟間対立を抱えている方は、実力通りのパフォーマンスを発揮出来ていない。
こんな事は記述するまでもない常識なのだが、
兄弟一門で足を引っ張り合っている家の子が実力を発揮出来る訳がない。
相談者の方には、その地域の戦国大名家を例に血縁不和の不毛性を解説している。
九州人には大友宗麟と島津義久の対比で解説するし、中京人には織田信勝を粛清し終わってからの信長の縁族への接し方を解説する。
別に歴史談義がしたい訳ではなく、単に失敗例の存在を知って欲しいから話すのである。
兄弟や従兄弟の失敗を絶対に嗤うべきではない。
彼らは直接的に助け合う事が無かったとしても、反目してはならない存在である。
卑小な優越感を満たす為の自慢をしてはならないし、断じて下らないマウンティングに興じてはならない。
貴方の利益にならないからである。
もしも家風が既にそうなっているのなら、貴方はそれを好ましく思っていない事を明言しなくてはならないし、
自身は血族を蔑みも嗤いもしない事を行動で証明し続けなくてはならない。
「孝」こそが過酷な環境で生存闘争を強いられた漢人が辿り着いた最高のライフハック概念である。
(実に素晴らしい考えである。 最高の叡智である。 故にその正論に基づき他種族の漢人は日本から排除されなくてはならない。)
一族が反目・牽制し合っている家は、他家が当然の如く行えている情報交換やコネクション活用の恩恵に自分達だけが蒙れずに必ず没落する。
そこに所属する個々の命運も同様である。
身内と円滑に接する能力を養ってこなかった人間が、他人と円滑な人間関係を築けると本気で思っているのなら、その思考は愚の骨頂であるとしか言いようがない。
身内との関係構築力と社会での関係構築力は、正比例するに決まっているではないか。
人間が勝ち抜く上で、身内は資産にも負債にもなる。
無論、この論理は他の全ての要素に当て嵌まるが。
困窮者の境遇の原因は広義の負債を抱えている事にある。
やり方次第で幾らでも資産となっていたであろう負債を見るのは哀しい。
その負債を資産と信じている人間に真実を打ち明けなくてはならない場面が一番苦しい。
どうかその負債の大きさに気付いて欲しい。
国家や社会と個人の利害は時として対極の位置を占める。
他人の卑劣なプロパガンダによって貴方が資産であると信じさせられている物が、本当は負債ではないのかを精査して欲しい。
それだけが個人が不本意な境遇を抜け出す方法であるし、今後の社会もその意識改革なしには維持し得ないであろう。
[subscribe2]
親子共に価値観が同じであっても、能力が正反対であったり、親が突出してると子はキツいように思います。
更に親が半ば才能できたものを子に強要した場合なんぞ、恐ろしくて恐ろしくて…
私としては、並べるならば
血族≧姻族>属地≧共同体(同期同窓等)>その他
でしょうか?
所謂、華僑やロスチャイルドなんかは血の結束で成功しております。
役割分担が徹底されているのですね。
(ロスはケンカしながらもビジネスは互いに回しあってるのが特徴かと)
目指せ、プチ華麗なる一族。
共同体では三田会や宗教団体を推したいですね。
血はいいんで(党首があまりその気が無いので)
私も相互補助組織を創設しようと思います。
問題があるとすれば、ノウハウが無いぐらいですか。
いつか、○○マフィアと罵しられるぐらいにはなりたいもんです。
2014年3月28日 9:06 PM | 1000$ |
インターネットやってたら意識高くなってしまうのも負債なんですかね
2014年3月28日 10:00 PM | u |
特に命の危険も明日の飯が無かったらどうしようと感じることもなく育った私は野村克也のような逞しくならざるを得ない生い立ちを羨ましく思うことがありました。
そこで、どこでも生きていけるような自信をつけようと「移民がしている様な仕事」を幾度かしたことがあります。
しかし、どれも長くは続きませんでした。自分にはきつかったです。
これが資産という名の負債なんでしょうね。
もっと貧困家庭に生まれていれば逞しくなれたのかなと思ったのですが、親が提供してくれた多くのものを自覚するたび、そのように思う自分の甘ちゃん加減に自己嫌悪でした。
2014年3月28日 11:16 PM | ぬる底辺 |
1000$様へ
子供の個性を客観的に分析するのは、親の仕事だと思います。
その手の無理解も負債だと考えて下さい。
u様へ
ネットはあくまでも媒体に過ぎないので、生産性の高い情報にアクセスする事も可能ならば、生産性の乏しい情報にアクセスする事も可能です。
一般に「意識が高い」と呼ばれる高生産性状態に自分を変えるのは、自身の思索と行動だけに拠るとは思いますが。
ぬる底辺様へ
いや、「甘い」事自体は悪ではないのです。
それを認識出来ずに無条件で資質と錯覚してしまう事が問題なのですから。
恵まれて育った事も、角度によっては十分長所足りえますので、悲観せずにそれを活かす道を考えて下さい。
2014年3月29日 12:17 PM | teihen |
なるほど、かつての日本企業が擬似家族を形成しようとしていたのもそれなりに理由と効果があったのですね
もうそれは崩壊しているのだから、本来の家族一族に立ち返るべきですな
2014年3月29日 7:31 PM | 匿名 |
確かに、恵まれ過ぎた環境で育つと、「生活レベルの向上」という負債を抱えますよね。
些細なことなんですけど、私、駅から徒歩30分って駅近物件だという感覚なんですよ。子供の頃、最寄り駅まで七キロあってバスも一時間に一本のところに住んでいたから。
バス停までが徒歩15分なんですよね。
しかも、周りは田んぼや畑ばかりで本屋とか図書館とか(図書館まで五キロありました)レンタルビデオ屋も雑貨屋もないし。
そんな環境だから、小学生のころから自転車はよく乗り回してて。
自転車は故障しない限り、お金もかかんなくていいですよね。
大人になってから、駅から徒歩30分の物件に済んだときに感激してしまいました。
自転車を15分漕げばレンタルビデオが借りられるなんて!
バイトの面接にも自転車を一時間濃いで行ったりしました。
さらに、バスを降りて歩いて3分で家に着く環境が夢のようでした。これは本当に現実なの?こんなにラクに目的地まで移動できるのはゲームの世界のお話じゃないの?と疑いました。
でも、ライン工やボーイには適性があるかな、とも思います。
移民がやるような仕事にも色々あるから、その中から自分にできそうなことを選べばよいのかもしれないですけども。
私の祖母は、大正生まれで「おしん」のように子守り奉公に出されて苦労し、
その後工場勤めを経て「もうひもじい思いをするのは嫌だ」と、農家の長男との見合いを職場の人に采配してもらったんですけど、
嫁に来たら、今まで農作業したことがなかったので、仕事がなかなかはかどらず「仕事のできない嫁」として姑と小姑にいじめ抜かて辛くて何度も家出したそうです。一回本当に離婚したけど、家に残してきた長男が心配で戻ってきたんですよね。
農作業に適性もなかったんだろうなと思います。姑が亡くなってからは農業はしなくなり、屑拾いの仕事に出て家計を支えたようです。
つまり、豊かに育ったとかと関係なく、その人のその作業に対する適性はあるんだろうなあ、と。
2014年3月30日 2:58 AM | 匿名 |
記事を読んでショックを受けました。
中流家庭に育ち、大学まで出させてもらった自分。
なんら特筆すべき能力もないくせに山月記の李徴のような自尊心を抱え、にっちもさっちもいかない状況に気が塞ぐ。
親族や、学生時代の友人たちのような擬似家族にも素直に頼れず不遜な態度をとり疎遠となりました。
まずはこの傲岸不遜な心を始末しなくてはいけないのですね。
親族に頼り、社会的には見下されるような仕事を獲得する。そこから闘いを始めるのですね。
2014年3月30日 3:07 AM | 匿名 |
7:31様へ
疑似家族の恩恵を一番受けた世代が、扶養義務が発生した途端に下の世代を切り始めましたからね。
結局、血統以外は信じるべきではないのです。
戦後の疑似家族も所詮は需要があったから作られただけでしたし。
2:58様へ
そう云う幼少期の体験は財産ですよね。
自分のどんな部分が財産で、どこが負債かは各々が冷静に精査し続けた上で活用しなければならないですね。
3:07様へ
少し筆致が矯激になり過ぎたかも知れません。
どうか気に病まれないようにお願いします。
無理に卑賎仕事に就く必要はありませんが、周囲の方との関係改善については上手く行く事を祈らせて頂きます。
2014年3月30日 3:38 PM | 匿名 |
あ
2014年4月1日 10:56 PM | あ |