日本一の出世頭・明智光秀に学ぶ究極のライフハック術



あえて秀吉を例に挙げない。

織田軍団の出世レースでは、

羽柴秀吉

明智光秀

滝川一益

丹羽長秀

堀秀政

あたりが、トップ集団と云われるが、

織田家中で最初に城持ち大名に抜擢された点、

佐久間信盛の後任として畿内を任された点

徳川家の筆頭家老・酒井忠次が饗応係を勤めた接待の答礼宴会の責任者に指名された点

の3点を以て、底辺は明智光秀を織田家中の出世頭と認識している。

本能寺直前には秀吉に信認度で抜かれたとされているが、そう感じた瞬間に主君の殺害に成功しているのでセーフ。

 

 

まあ、そんな事はどうでもいい。

誰が出世レースのトップであったかの論議は本旨ではない。

 

底辺の言いたかった事は、

明智光秀は流人の状態から、巧妙に織田家に入り込み信長の信任を勝ち取り、

露骨な美濃閥を形成した上に勝手に明智軍法を定め、

(私兵内私兵である)

こうして後世に名を残している云う事実だ。

(しかも、朝倉家・足利家と退転先を2度攻撃して相手を潰している。)

彼こそ最高のライフハッカーではないのか?

 

 

ライフハッカーの模範として挙げるべき光秀の逸話のうち、

朝倉家への仕官が35歳の時である。

と云う点は特に強調しておきたい。

就活1年逃した位で悲壮顔をしている方は、光秀を見習って欲しい、と云う意味でである。

出世した光秀は、

自分を冷遇した越前でジェノサイドを行い

かつて仕えていた細川幽斎を被官にし、

同じく仕えていた足利義昭を放逐し、

ついでに信長も殺害している。

貴方だって、貴方を選ばなかった企業は滅ぼしてもよい。

 

 

光秀が朝倉家に仕える様になった逸話が智恵者の彼らしい。

加賀国一向宗徒が一挨を起し越前へ攻入った際、朝倉土佐守景行が数千の軍兵を率いてこれを防ぐ。

明智光秀は越前の長崎と言う所に住居していたが暇を得て一揆の戦を見ようと、御幸塚の戦場に行って見たが既に夕暮も過ぎて戦も止んで互いに燎を焚いて対陣していた。

光秀が遥かに御幸塚の東を見ると、 一条の赤気が空にたなびき朝倉の陣営を犯していた。

これは一揆の徒が夜討を仕掛ける気配だと見てとったので、全く縁は無かったが土佐守に『このように思えまする』と進言した。

朝倉勢はそういう事もあろうかと用心して堅固に敵を待っていた。

一揆の徒が光秀が言ったまさにその刻限に夜討してきたが、予め細心に用心していたので散々に打ち破り十分の勝利を得た。

これにより上佐守が光秀の非凡の才能に感心し、義景に勧め仕官の道を開いた。

>暇を得て一揆の戦を見ようと

こんな物は大嘘である。

光秀は朝倉家に入り込む隙を虎視眈々と狙っていたのである。

無論、雑兵として雇用されるのではなく、将として組織に食い込む為である。

別にこの逸話の真偽などはどうでも良い。

これが、全ての逸話に強い上昇志向が盛り込まれている明智光秀の仕官に纏わる逸話である。

と云う事実が大切なのだ。

 

・積極性 (仕官先への売り込みタイミングを狙い続けていた)

・アピール性 (仕官先のピンチを救った)

・価格維持 (本当は仕官目的であるにも関わらず、「戦見物」と嘯き自分を安売りしない)

 

この逸話には、売り込みの極意三拍子が揃っている。

明智光秀の出世観は最初から照準を上に向け続けている点が異様であり、彼の成功の秘訣であったのだ。

 

光秀は秀吉と比較されがちだが、

多くの書籍は教養の有無や容姿や勝敗ばかりに焦点を空けて2人を比較している。

これは全く的外れであり、我が国を代表する英雄に対してあまりに無理解ではないだろうか?

 

光秀と秀吉は出世観における急進と漸進で比較されるべきである。

千人長の利益のある大黒を投げ捨てた光秀と、同輩が大志を語る中「300石の加増」を願った秀吉は、

明らかに別の発想で動いているのである。

光秀の出世術と秀吉の出世術は全く異なるコンセプトに基づいている事を認識して欲しい。

「組織人」としては便所の汲み取り口に隠れて同僚に名を売った秀吉こそが正統派であり、

光秀の発想は「組織人」のそれではなく、組織と対等以上に渡り合い喰い物にする事すら狙う獰悪なノマドのそれである。

このブログがサラリーマンの為の出世術について語るブログであれば底辺は秀吉を引用した。

だが、弊ブログは御存知の通り、起業家や起業希望者を暗黙の対象にしている。

故に、底辺は模範として光秀を挙げる。

 

 

秀吉は家中に多くの味方を持っていたが、光秀は信長以外の全員に敵視されながらも、公然の私閥・私法を構えた。

秀吉は士卒に吝嗇であったが、光秀は数百年後にようやく芽生える「福利厚生」の概念を自閥に導入し自領に伝説的な善政を施した。

秀吉は信長の不興を買った時に術策を弄して勘気を解き大量の供物を捧げたが、光秀は冷遇されたと感じた瞬間に信長を殺した。

これは優劣ではなく生き方の違いである。

秀吉や光秀から学びたい人間は、せめてこの2人が対極の発想で動いていた事を認識しなくてはならない。

出世と云う結果のみに幻惑されて、この2人を混同する者には彼らへの敬意も学習意欲も持ち合わせていないのである。

 

 

このブログは一貫して光秀型の発想を美徳として紹介しているので、

サラリーマンが勤務先から略奪する方法  *サラリーマン(広義の被雇用者・バイト派遣含む)

秀吉の逸話を真似よとは薦めない。

 

 

光秀のエピソードを要約すれば、

光秀はその場その場でキーパーソン(細川幽斎・足利義昭・朝倉義景・織田信長)を狙って接近し、私閥の強化に専心し続けた。

と云う事に尽きる。

鉄砲百発百中の逸話や妻熙子の髪売譚、斉藤利三ヘッドハンティング事件等は、全て彼の生き方が顕現した枝葉末節のものに過ぎない。

 

 

流人としての本来ネガティブな経歴も、諸国の詳細な情報をキーパーソンに披露することで逆に活かしている事も面白い。

朝倉義景に諸国の情勢や名士の近況を報告書の形で提出して鉄砲頭兼鉄砲師範の職を得ている。

(当時硬直化していた朝倉家としては異例の厚遇だが、光秀は満足しなかったので退転し

後に行われる越前での徹底的なジェノサイドで土地勘を活かして大活躍する)

 

 

光秀はひたすらキーパーソンだけを狙い撃ちして世の中を渡っている。

彼は射撃術がクローズアップされがちであるが、本当に彼が狙い撃ったのは当時のキーパーソン達の心である。

(但し、同僚受けは相当犠牲にしている。

その証拠に彼は自部隊に対して「他部隊への挨拶マニュアル」を発布している。

同僚から嫌われている事を最初から前提にした発想なのである。)

 

 

 

「キーパーソン狙い撃ちの世渡り」

 

 

光秀から学ぶべき点は、この一点に集約される。

鉄砲術や検地術や礼儀挨拶等は時代の経過と共に様式が変わり、後世の我々が学ぶ余地は少ない。

だが、光秀の世渡り哲学は、500年近く経過した現在でも十分学習の余地がある。

 

 

読者諸兄が各々の目標に向える事を祈る。

 

 

 


 


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12件のコメント

  1. 匿名

    これは底辺エントリを超えた良質な戦国武将考だ
    光秀に関する考察はここを出発点にすべき

  2. 匿名

    秀吉と光秀の違いとか慧眼だよな

  3. 匿名

    明智光秀って本能寺の変位しか覚えてないわ。
    底辺君歴史に詳しいんだね。

  4. 匿名

    新鮮な解釈

  5. 匿名

    面白かった

  6. 匿名

    今まで見た信長軍団評論で一番レベル高い
    秀吉と対極とかゆってる作家はいないとおもう

  7. 匿名

    記事も米欄もレベルが高くてついて行けない…

  8. 匿名

    ニートにすごいこと言われた…

  9. 匿名

    ネット上にライフハックなる言葉は氾濫しているが
    このエントリで初めてその意味を掴んだ気がする

  10. 匿名

    光秀は秀吉と比べると片手落ちで語られることが多かったから、この視点は新鮮
    今川義元再評価の流れもあるしこの解釈も普及してほしいな

  11. 匿名

    本当に驚きました。
    幼少期にアニメで見た、「『敗者』 光秀」
    という視点から私は逃れることができず、
    色々な光秀像を見ても、「敗者 光秀」という
    固定観念が消えませんでした。

    でもこの記事で目から鱗が落ちました。
    恥ずかしい話ですが、私は光秀に自意識を投影していました。
    そのことには気づいていながら、手放せなかったのですが、
    今、手放せました。

    底辺さんの自然で素直な感覚に接したからです。
    とても優れた記事だと思います。
    本当にありがとうございました。

  12. まるかつ

    恐れ入りました。
    勉強になります!

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