結論から言うと、誰にでも人脈はある。
人類皆が既に各々の人脈を保有しているのである。
よく、
「私には人脈が無いから資金も仲間も集まらない」
と愚痴る方がおられる。
底辺に相談を持ち掛ける方にも、人脈に関する悩みを溢す方は多い。
少し言葉は厳しくなってしまうのだが、本当の事を伝えておく。
特に若い方は、底辺がこれから記す事をどうか頭の片隅に留めておいて欲しい。
「資金や仲間が集まらないのは、貴方が既に保有している人脈から評価されていないからである。」
人脈なら、既に貴方は持っているのだ。
貴方が今までに接点を持った人間や、貴方を一方的に知っている人間も立派な人脈である。
もう一度申し上げる。
「貴方が今までに接点を持った人間や貴方の事を一方的に知っている人間は、貴方の人脈である。」
無論、数の多寡もあるし、質の高低もあって当然である。
だが、貴方が既に保有している事も事実なのだ。
「そうは言っても、使える人脈ではない!」
と反論する方がおられるだろう。
そういう方は、周囲にとっても利用価値がきっと乏しい。
少なくとも、周囲にとっても貴方は『人脈』ではない。
世間一般で言う『人脈を持っている人』は周囲に対しての貢献力も保有しているからである。
(或いは貢献能力・意欲をアピールする術に長けている)
人脈と云うのは、何かあった時に引き出せる銀行預金ではない。
就職が決まらないから、世話をしてくれそうな人脈がないか思い返す。
商売が傾いたから、金を貸してくれそうな人脈を探す。
離婚して寂しくなったから、異性を紹介してくれそうな人脈を掘り返す。
そんなものは人脈でも何でもなくて、ただのタカリ行為ではないのか?
選挙前だけ親しげに声を掛けてくる創価学会員以下ではないか。
(少なくとも底辺は、彼らの中で恥じている者や詫びて来る者と出会った経験がある。)
資金や仲間は、アクションを起こす前の段階で貴方の傍に既に存在する。
もしも貴方が信頼や友誼に値する人間ならば、貴方が起ち上がった時に自然に付いて来る。
精神論で言っている訳ではない。
身近な人間や付き合いのある人間や、貴方を一方的に見知っている人間の賛意を喚起しない人間が、見知らぬ誰かの賛意を掴み得るだろうか?
いや、ない。
貴方が誰かにプレゼントを贈る時に、ゴミ捨て場のゴミを拾って贈るだろうか?
それは立派な嫌がらせである。
人間の紹介も同じである。
下らない人間の世界は絶対に広がらない。
下らない人間を誰かに紹介する事はゴミをプレゼントする位失礼な事だからである。
そして何より恥ずかしい。
無論、大抵の人間は無価値なゴミである。
浅学菲才のこの底辺が言うのだから間違いない。
能力も器量も資産もなくて当然なのだ。
故に、隣人にとって少しは触りの良い人間である事を心掛けるべきなのである。
故に、その小さな社会の中で快活で明朗な存在であるべきなのである。
人脈の恩恵云々を語っていいのは、それらの心掛けを日頃体現している者だけである。
普段、喧嘩や諍いばかりして、誰も助けず、他人の悪口話に大笑し、国にも街にも貢献しない者が居たとして、
その者が「人脈の欠乏」を嘆いたとすれば、それこそ喜劇ではないか。
人脈は人生の結果に過ぎない。
今、誰にも助けて貰えないのなら、それが過ごして来た人生の結果である。
仲間と信じていた者に裏切られ続けるのなら、周囲とそれ相応の関係しか築けて来なかっただけの話である。
とりたて難しい話ではない。
単に隣人と円滑に過ごす様に心掛けるだけである。
無用の論争癖や、粗暴な態度や、些細な不義理を意識して減らす事。
(まずはマイナス要素を減らす事、リスク回避志向の現代社会は減点法で人間は評価される。 1にも2にもマイナス要素を減らす事)
そして、たった一言の慰めや、たった一言の賛辞、たった一秒の柔らかな会釈を今からの人生に意識して加えて欲しい。
それが貴方の知己(意識無意識問わず)を世間一般で表現する所の『人脈』に昇華させる方法である。
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無能者の底辺は、捻くれ者の底辺は、上で述べた事をこなせる自信がない。
自分なりに心掛けているつもりだが、マイナス1兆点がマイナス9999億9999万9999点に軽減される程度の改善しか出来ていないだろう。
だから、底辺は周囲の知己に対して工夫をして接している。
と言っても、大したカラクリは無い。
単に新しい分野を開拓し続けているだけである。
知己と近況報告を交わす時に、必ず新しい報告をするを目標にしている。
別に何だっていいのだ。
底辺は創作活動が好きなので、漫画を描いたり、BL声優に挑戦したり、ゆるキャラになったり、電子書籍を出したり、出版社に企画を持ち込んだりしている。
大抵の方が失笑しておられる事は重々承知なのだが、世間には奇特な方が少しは居られて底辺を可愛がってくれている。
(或いはそれは憐憫の一種なのかも知れない)
奇特な方々が痛快がって大笑してくれるのが底辺のささやかな勲章であるし、そこから学び得た情報は彼らに提供し続けている。
損はさせていない自負はある。
昨日よりは有用な底辺に成っている自信もある。
手の内を明かしてしまうと、彼らからは物心共に援助も頂いている(勿論、領収書は発行している)。
それが底辺の人脈構築方法であり、かけがえのない人脈である。
前段もは自分でも心掛けとして持つよう気をつけてますね。
例えその場で話題の中心になれなくても、目上の言葉を引き出さんと努めております。
…もっとも、私の周りの老人方はほっといても喋るんですが。
後段の、「新しい報告」はいいですねぇ。
場のいいネタになります。
創作活動は私にとってちとハードルが高いんで、…新しいダイエットを始めたか新しい持病を得たぐらいしかありませんが、うまく生かしたいと思います。
2014年2月6日 11:54 PM | 1000$ |
1000$様へ
意外と年配の方が喜んで下さる印象があります。
若い世代の能動性を嬉しく感じる心理なのでしょうか。
ダイエットや持病でも、前向きな切り口であれば歓迎されると思います
2014年2月7日 8:55 AM | teihen |
うむうー
底辺君みたいに次から次へと思いつかないんだよなー
正論なのはわかるんだけどさ
2014年2月7日 9:03 PM | 匿名 |
>普段、喧嘩や諍いばかりして、誰も助けず、他人の悪口話に大笑し、
>国にも街にも貢献しない者が居たとして、その者が「人脈の欠乏」を嘆いたとすれば、それ>こそ喜劇ではないか。
反論の余地がなかったわ…
2014年2月8日 12:08 PM | 匿名 |
9:03様へ
他人のパクリでもいいので、とりあえず一ネタ始めてみる事を推奨します。
「コイツのやってる事は面白いな」
「これなら自分でも出来そう」
を真似するのが近道だと思います。
12:08様へ
実は、表現がキツくなってしまったと記事を書いてから反省しております。
ただ、私が色々見てきた限りでは、どれだけ優秀な方でも不要の攻撃性を持つ方は、
「損をしている」ので、私は極力自戒したいと考えております。
2014年2月10日 11:37 AM | teihen |
今まで、少しだけボランティアみたいなことに参加して、「人脈」ができかけたのかもしれないけど、
自分の心を偽ってこのままここと繋がっていたくない、と自分から繋がりを切ってしまったことが2、3回。
(その団体の上の人に強く意見して気まずくしたり)
小さな講演(?)の依頼も来てたんですけど、断ってしまいました。一クラスぶんくらいの人数の前で喋って、謝礼として一万円くらいもらえるやつ。(一回目が成功すれば次がある可能性もあった)
もし引き受けていれば、何か自分の可能性がそこから開けたり、むしろ自分の身の程を知る機会になっていい刺激になったり、人脈もできるかな、とも考えたのですが。。。
どうしても、依頼元のベンチャー企業の社長のやり方に違和感があり。
「心からしっくりくること」でないとやはり人脈を作っても仕方ないのか、それとも、次に繋がるステップのために、「多少疑問がぬぐえなくてもとりあえず人脈をつないでおき、やってみた方が自分のためになる」のか。
その見極めはどうしたらいいでしょうね。。。
2014年2月11日 3:38 PM | 匿名 |
3:38様へ
仕事に関しては積極的に受けるべきであると私は考えております。
何故なら、社会人としての人間は他者から値段を付けて貰って初めて価値が生まれるからです。
より認知され、より力を持てば、貴方が世界の違和感を正す事も可能になってきます。
もしも、同様の機会が訪れれば、積極的にチャレンジされる事を推奨します。
2014年2月12日 5:23 PM | teihen |
底辺さんの仰るとおり、まず自分が世界に認知されれば、社会の違和感をただすことも可能ですよね。
ただ、その仕事(?)の依頼元の悪口
(悪意を込めて言ってはないつもりですが、「やり方が納得いかない」「代表に嫌な目に合わされた」等)
を何人かに話していたので、それで仕事を受けたらかえって周囲から信用されなくなるのではないか、
とも考えたのです。
悪口は言わない方がいいということに帰決するのかもしれませんが、
同じように納得いかない人たちもいたので。
悪口を「楽しむ」ようなコミュニケーションはどうかと思いますが、
全く悪口をいわず、「何を考えてるのかわからない」とか
「日和見主義」
と思われるのもそれはそれで不利益を被る気がしてしまうんですよね。
信用できないやつだ、と見られる。
「人の悪口を言うな」というのは、「それを聞いて不愉快な思いをする人の前では言うな」であって、
同じようにその対象について納得いかない人相手なら、
むしろ悪口は歓迎されるし。
先日も私の友人Aが、私との共通の友人Bから、「パシリ」のような扱いをうけて、「長い付き合いで、友人Aに良いところもあるのも知ってるけど、こういう扱い受けるならもう友達やめようかな」とかなり参ってて。
私自身も友人Bの「気軽にモノを頼み、やってもらって当然と考える姿勢」に腹が立つ出来事が以前あったので、友人Bにその点を意見したら、友人Aから感謝されました。
その際「友人Bってわがままだよねー」という内容のことを二人で結構 悪口をいいあっていて、
愚痴を聞いてもらえた友人Aはすっきりしたそうです。
私もすっきりしました。
実際は心を通じあわせるのに「悪口」が有効に働くこともあるように考えてしまいます。
職場でもよく見かけられますし。
さじ加減がほんと難しい。
要は「自分が不利に立たされる羽目になるような悪口は言うな」なんでしょうけど。
2014年2月20日 5:43 PM | 匿名 |