昔は、カネを稼ぐのに人手が必要だった。
だから、カネを稼ぐ能力のある人間は組織を作り、集団でカネを稼いだ。
盆暗でも組織に入れば分け前が貰えたので、皆は必死で組織に入る努力をした。
良い学校を卒業したり、
使えそうな資格を取得したり、
友達関係を誇示して組織人としての適性をアピールしたり。
大体、これらの手法は一時代前に皆がやったと思う。
無論、悪手だとは思わない。
儲ける能力のある連中にくっついて、お零れを貰うと云う発想は極めて無難かつ健全な思考である。
人間は群生生物なのだから。
問題は人類史にIT革命が起こり、
カネを稼ぐ能力のある人間が、人手など使わなくとも十分に稼げるようになってしまったことである。
これは深刻極まりない問題である。
無論、人手の必要なビジネスはまだまだ存在する。
だが、同じ収益額のビジネスが二つあった場合、
人を雇わなくてはいけないビジネスと、独りで完遂出来るビジネスのどちらを能力者は選ぶであろうか?
答えるまでも無い。
能力のある人間は独りでさっさとキャッシュを稼ぎ、賢明な運用術で労なく生きる。
実際にそうなのである。
出来る人間は、全員パジャマのままPCで仕事をして、誰も雇わずにビジネスを完結させている。
(そういう連中に限って浪費で社会に還元する意欲も乏しい)
底辺の様な無能力者ですら、
成功者と同じビジネススタイルを採る事により、誰も雇わずに収益を出せる様になってきた。
無論、成功者ほど仕事が出来る訳ではないので、
ビジネス化するにあたって力の及ばない箇所は業者に外注するか、顔見知りのノマドに助力を頼んだりしている。
(無論その時点で、そのノマドが何かをする時に底辺が助太刀する義理が生じる)
別に奇異なスタイルではない。
原始の狩人は皆、この原理で動いていた。
鹿狩りの名手が狩りに行く時は、狩りの参加者が鹿肉の分け前を獲得出来たし、
鯨漁の名手が船を出す時は、協力した者に鯨肉が分配された事であろう。
集落襲撃の天才が兵を挙げる時は、従軍戦士に女や財宝が振る舞われたに決まっている。
そもそもビジネスの発案者と追従者の関係が何十年も固定し続けている状態が異常なのだ。
・ビジネス環境が不変
・発案者に新規プロジェクトを立ち上げ続ける能力がある
・発案者に特定の追従者を飼い続ける意欲や必然性がある
旧来型のビジネス主従関係が永続する条件は上の3つのみであり、
現代日本は、どの条件も合致していない様に見える。
となれば、これからのビジネスシーンを生き残る為には、
・個々が自分のビジネスを保有する事
・他人のビジネスに助力可能なコネクションと能力の保有
・「作業」「助力」と云う、無形の交換物を相手への不快感と自分への損害無しに算定する能力
の3つが必要不可欠になるのではないだろうか?
無論、これは底辺の現時点での仮説に過ぎないし、
社会ほど急激に人間の価値観が変革しない事も重々承知である。
ただ我々の親の世代に比べて、ビジネス環境が大きく変わってしまっている事は厳然たる事実であるので、
当事者である我々には身の振り方を真剣に考える必要がある。
そう思って、このエントリーを書き記した。
グローバル化で途上国と価格競争してんだからそりゃ仕事なくなるよ。
2013年4月27日 7:06 PM | 匿名 |
底辺はシェアビジネスの可能性について述べているように思える
2013年4月27日 8:00 PM | 匿名 |